未来に広がる可能性を信じることが、自分を信じるということ。
急須が教えてくれたこと。
棚の奥からでてきたの!
15年くらい前に、私が作った急須。
素敵でしょ♪
陶芸は初心者だったから、
手捻りの湯のみを数個つくって、
ロクロでも湯のみを数個つくって、
次に作ったのが、この急須。
すごくない?!
(今見て、びっくりしてるのだ)
蓋がちゃんと本体と合わさるのが奇跡的だと思う。
注ぎ口とか、持ち手の角度のバランスとかも、
不思議と感覚でわかるのね、これで多分いけるって。
好みの土を選んで、
土の焼き上がった時の風合いや、
釉薬とのかけあわせ。
頭の中の想像する立体が、
手元に具現化していく感覚が楽しい。
そして、釜を開けて出来上がるまで、
それがどう融合して変化を起こして、
最後の仕上げになるかはお楽しみの世界で。
そういえば、誰に教わらなかったな~、これを作るのに。
制作スペースと、乾燥をする保管場所と、
釉薬と、焼き窯を提供してくれる所が近所にあって、
先生はいなかった。
うん、今思えば、その環境が良かったんだな。
「初心者だから急須を作るのはまだ無理だよ」
なんてことを言われることもなく、
自由に好きなモノを作れたから。
だから、こんな奇跡も起こる。
今、この急須をみると、
あの時から15年間陶芸を続けていれば、
今は作家になれていたんじゃないか?と思う(笑)
そんな可能性もあったのに、なぜ続けなかったのだろうか?
それは、
ただただ、楽しくて、当たり前にすんなり出来てしまうことが、
「仕事になる」とは思えなかったから。
「楽しい趣味の世界」でお金を得ることなんて出来ないものだ、
と決めつけていたから。
ここから広がる可能性の世界を、閉じてしまったのは自分。
自分の思い込みの感覚の方を採用して、
好きを追求しても何もならないと決めつけてしまったのは自分。
なんの疑いもなく、今までの経験で得た価値観を採用して生きていて、
あの時「自分の可能性に蓋をしてしまった」のは、自分でしかない。
自分に「どんな経験をも許してあげなかった」のは、自分でしかない。
今まで、自分の外側の世界に「自分の求めるものがあるかもしれない…」と探しに出かけたけれど、
自分の「好き」や「喜び」や「無限の可能性」は、自分の内側にあるのね。
そして、それを見つけるのは、
最終的には、自分でしか出来ないことなんだよね。
ずーっと、大切にしまわれていた急須が、
今、私に伝えてくれるメッセージがたくさんある。
なので今は、いつも目に着くところに置いている。
自分をあきらめないように。
自分の可能性を信じるように。
いつも目にふれて、思い出せるように。
スイカを食べながら、
今日も急須をみつめ、
じんわりとハートに響くものがある。
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